新春特別企画 《満》ちゃんのどーでもいい話~日本語で歌うアーティスト集(英語編)~

皆さんあけましておめでとうございます。

2017年のフランスギャル、ジョニー・アリデイの次に、2018年にはシャルルアズナブールが亡くなってしまいました。

もはや日本人が知っているフランス人アーティストはいなくなってしまったのでしょうか?(かろうじて中高年にはポルナレフ??)

昨年、思いつきで日本語で歌うアーティスト(フランス語編)をやりましたので、2019年は英語編の全くためにならないどーでもいい話です。

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①CARPENTERS(カーペンターズ)→詳しくはこちら

このアメリカの兄弟デュオ、カーペンターズの楽曲はとてもユニークだよね。金管、木管楽器、ハープをすごく使うし、少し聞いただけで『あ、カーペンターズ』みたいな音とハーモニー。でも優等生すぎて、ロックを聞いている人たちからは、「兄弟でイチャイチャしてるんじゃねーよ、バーロー」みたいにバカにされていましたね。たしかTBSの『未成年』というドラマで使われたらしい・・・。まあイチャイチャはどうでもいいのだが。このお兄ちゃんのリチャードという人は、ワタクシ的には作曲家&アレンジャーとしてもっと評価されてもいいと思うのだが。この人、カバーソング作るの上手なのよね。ビートルズとかレオン・ラッセルとか。

しかし、ボーカルのカレンは拒食症で33歳の若さで亡くなってしまうのだ。この人、内傷的で根暗な歌も明るい歌ものびやかなボーカルで好きだったんだけどなー。

これは日本公演の時の時にサービスで日本語で歌ったやつです。この曲聞いたことある?

『SING』→動画は(こちら

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②ベッティ&クリス→詳しくはこちら

天国よいとこ一度はおいでー、酒はうまいし  ねーちゃんはきれいだ―、ワーワーワワーで知られているフォーク、クルセイダースの加藤さんが作った曲であります。でもほとんど皆さん亡くなってしまいましたね。お医者様になった北山さんは先日パリに来ていたような・・??

作曲って、ケチャップみたいに出るときはドバドバ―とできるみたいね。多くの名曲をドバドバ―と出してこの人たちはその後解散してしまうのだ。

才能の泉って一度止まってしまうとなかなか難しいようで、アメリカだとスティービーワンダー、英国だとポールマッカートニー、フランスだとミッシェルポルナレフ、日本だとT.K .とか・・。

この曲はドバドバ時代に作られた名曲です。うーーん、はもりがしびれるぜい。カラオケでやってみたいなー。

『白い色は恋人の色』→動画は(こちら)

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③スリーディグリーズ→詳しくはこちら

ワタクシが子供のころ、家のテレビは茶の間のこたつの前にあったのだが、家族が寝静まった夜中に、毎週一回電気もつけずボリュームを最小にして子供が見てはいけない禁断のテレビ番組を見ていたのだ。

その悪魔の番組の名前は

『SOUL TRAIN』ソウルトレイン→詳しくは(こちら

→動画は(こちら

ローリングストーンズのミックジャガー氏はかつて「いい子に育てたかったら黒人の音楽を聞かせるな、俺みたいになるぜ」という味わい深い発言をしていますが、全くおっしゃる通りその通り。金言ですねー。

子供のころにシンコペーションがきいたビートを聞くと頭の中がファンキーなおバカになってしまうのよん。

夜中にゲロッパ、ゲロッパ、ウ~、ウ~とこたつの周りを踊りまくっていたのだ。

動画は→(こちら

スリーディグリーズはこのソウルトレインのオープニングタイトルを歌っていた3人組の女性トリオグループ。この時代、ダイアナロスが歌っていたシュープリームスとか3人組女性トリオグループがいくつかあったのね。

うーーん、日本語の発音がファンキーだぜー。ソウルフルだぜー。

『苦い涙』→動画は(こちら

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④QUEEN(クイーン)→詳しくは(こちら

2018年に11月に公開されたQUEENの伝記的映画『ボヘンミアン・ラプソディ」をワタクシは3回見たが3回とも泣いてしまった。

まあ、これは『さーあ、今日も泣いてやるぜい・・』的に見に行っている自分も悪いのだが。

映画館の一番後ろの席でスクリーンに向かって手を振りながらポロポロ泣きながら歌っている中高年のおっさんの姿はほとんどB級ホラー映画と紙一重のとても人様には見せられないキモイ姿だとは自分でもわかっているのだがどうにもならないのよん。

まあこれには少し理由があるのだ。

クイーンを初めて聞いたのは今でもはっきり覚えていて、ワタクシが毎週ラジオガガ、的に かじりついて聞いていた、ウルフマンジャックが叫び、みのもんたがDJの『ALL JAPAN  POP20』というラジオ番組に、クイーンの『キラークイーン』がチャートインした時だから、多分1974年ごろのことだ・・・。

イントロのパチパチパチ3秒聞いただけでぶっ飛んでしまいましたね。 な、な、なにこれーー??センスが、ギターが、ハーモニーが他のバンドとは全然違っていて、すでにクイーンの音だったのよん。

初めて買ったクイーンのアルバムが、1975年に発売された、映画にも出てくる『THE NIGHT OF OPERA』(オペラ座の夜)。いやー、このアルバムは耳にタコができるくらい聞きましたねー。歌詞カードにカタカナで発音書いて全曲歌えるくらいに聞きした。

しかし映画では「オペラ座の夜」の中の一曲『ボヘミアンラプソディー』ばかり出てきて他の曲はほとんど無視・・??えーー、なんでよーーー??こんなオーバーダビングスタジオ技術のロック史に輝く傑作が1曲だけなの??ロックオペラのようなコンセプトアルバムを1曲だけぶった切っていいの??

まあ、これはボヘミアンラプソディー誕生秘話、愛と感動のフレディ物語の映画だから&グレーティストヒットだから仕方ないなー。でも少しサウンド的にはおじさん寂しいなぁ・・・。ほんの30秒だけでもいいから、がつんとハードにいじってもらいたかったなー。

次に紹介する動画は、1979年の武道館でのライブで歌った、黒盤に入っている

『手をとりあって』→動画は(こちら

実はワタクシ、この1979年の武道館コンサートに行こうとしたことがあるのだ・・・。しかし地方都市の田舎ロック兄ちゃんには東京はあまりにも遠く、泊りでコンサートに行くお金も時間もなかった。

チープトリック、クラプトン、KISS、そしてQUEEN。ロックの聖地・日本武道館は音楽雑誌でしか見れない夢の世界だったのよん。

それから6年後・・・。

ワタクシはロンドン西部にある「ケンジントンヒルトンホテル」内のレストランでキッチンスタッフとして働いていたのだ。

この1985年という年は、TIME OUTを見ても、HMVのプレイガイドに行っても、LIVE AIDEの話題であふれていた・・・。

”LIVE AIDE”→ 詳しくは(こちら

そこで、ワタクシは職場の上司に「コンサートに行きたい!行きたい!」としつこくしつこくお願いしていたのだが、ある日彼はワタクシにこう言ったのだ。

『もう、≪満≫君、毎日うるさいから・・・。そんなに行きたいなら特別に休みあげるからコンサート行ってもいいよ』

やった―――――――――――――――――♡♡♡☺☺☺

しかし、上司はその後で信じられない言葉を言った・・・。

『その代わり、18時までにはキッチンに入れよ』

と言ったのだ。

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、なんでよーーーーーー。

そんなことできるわけないでしょーーーー。

どうやら原因はロックミュージックを全く聞かない上司が、コンサートというのはせいぜい2,3時間で終わると思っていたことだった・・・。

『ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ――。ウエンブリーですよー。8万人のスタンディングの野外ロックフェスですよ。同時刻にアメリカでもやるんですよ。ブリティッシュロックの大物、アメリカの大物もみんな集まるんですよ。数十万人ですよ。世界的・地球的にロックフェスティバルですよ。朝までやるかもしれないんですよ。18時に帰ってこれるわけないでしょーーー!』

ワタクシの常識的で若く熱いロックな抗議も、上司の心には全く響かず・・・。

上司は、

『あ、そう。そんな大きなイベントなの??それじゃ、ホテルもレストランも忙しくなるから、絶対18時までには帰ってこい!』

と言ったのだ。

がーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。

で。LIVE AIDEの開かれた1985年7月13日に、ワタクシは何をしていたかというと・・・、昼も夜もホテルで仕事をして、ウエンブリーには行かなかったのだ。

上司には18時前はコンサートに行ってもいいと許可をもらったにもかかわらず、だ。・・・、よく思い出せないのだが、多分・・・、なぜ行かなかったのか??

①17時頃会場を出ると大物ミュージシャンが見れないから?

②チャリティコンサートでチケットが高かったから?

③また次の年のLIVE AIDEかQUEENのワールドツアーに行けばいいと思ったから?

こんなところだろうと思うのだ。しかし、LIVEAIDEは一回だけで終わってしまい、QUEENはワールドツアーに出なくなり、フレディ マーキュリーは数年後にエイズで亡くなってしまった・・・・。

芸術の世界で、”また次の機会”などと考えてはいけなかったのだよ。行きたいと思えば行けばよかったのだよ。ただそれだけ。

あーーーーーー、こんなことなら何もかも放り出してウエンブリースタジアムに行けばよかった――――――。

借金してでもひんしゅく買ってでもチケットがなくても。

フレディと一緒に伝説のチャンピオンを歌えばよかったのだ――。あーーー、何という愚かなおバカなことをしてしまったのだ――!!

しかし、もう遅い。遅すぎる・・・。

失われた時を戻すことはできない・・・。

あの日に帰ることはできない・・・。

ワタクシはこうして伝説のLIVE AIDEに行く機会を失ってしまった。

しかし、ワタクシはこの34年間メソメソ泣いていたわけではない。それどころか、LIVE AIDEのことなどケロケロ―と忘れていたのだ。

この『ボヘミアンラプソディー』という映画のハイライトシーンは、LIVE AIDEの後半の完全再現シーンなのだが、このシーンにはものすごくノリノリの観客のシーンが入っている。いつも泣いてしまうのはこの辺り。

ワタクシはこの観客の中に、いるはずのない自分の姿を探してしまうのだ。1985年7月13日にフラッシュバックしてしまうのだ。ほんのわずかなお金をケチっていかなかった自分を・・・。

そうすると心の中のパンドラの箱が開いてポロポロ泣いてしまうのよん。

映画『ボヘミアンラプソディー』→動画は(こちら

ボヘミアン《満》ちゃんのどうでもいいラプソディーでした。ちゃんちゃん。

☆おまけ☆

日清カップヌードルの替え歌CMシリーズにQUEENのボーカル・フレディマーキュリーが登場!→動画は(こちら

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⑤STING(スティング)→詳しくは(こちら

ワタクシは一度だけスティングを見たことがある。ワタクシが働いていたロンドンのレストランにお客様として来店したのだ。(ギターのアンディサマーズはたまに見かけた。物静かでロックスターには見えない人。)

店内のザワザワ感がすごかったね。

『えっ??あれ?もしかしてスティング??』

ザワザワ・・・

『あの人、スティングに似てる??』

ザワザワ・・・

みたいな。

スーパースターも大変だなーと思いましたね。

ちょうど『青いカメ吉君の夢』が発売されたころ・・・。

とにかくかっこよかったのよん。でも威張ってるわけじゃないのね。

STINGは映画にもいろいろ出演していて、ジャズクラブのオーナー役の『ストーミーマンデー』とか、デビットリンチの映画にパンツ一丁の殺し屋役で出ていたりしているのだが、ワタクシ的にはやっぱり『さらば青春の光』ですかね?

『QUADROPHENIA』→予告編は(こちら

さすがにあんなデコトラみたいなスクーターには乗っていなかったけど、バイク乗りだったワタクシは憧れましたね。わざわざブライトンホテルや路地のゴミ捨て場まで行きましたよ。

音楽的にはスティングはよくわからないカメレオンみたいな人・・・。ロックじゃないよな??音楽家?ミュージシャン?

クラシックに行ったり、ジャズに行ったり、レゲエに行ったり、民族音楽的だったり・・・。ポールサイモンとコンサートツアーをやったり、ジェニファービールズとミュージカルをやってぼろくそに言われたり。チャレンジ精神が強いんだろうね。

そのへんがかっこいい。頭はいいし(ロック界でシンクロニシティ、なんて言い出したのはスティングがパイオニア)、環境問題にも熱心だし。”SEX・ドラッグ・ロックンロール”な人ではないのだ。

チャレンジ精神と言えば、スティングはいろいろな言葉で歌っている。英語、スペイン語、ポルトガル語、なぜか日本語もあるのよん。動画はないけど音源だけ。

POLICE 時代の『DODODO DADADA』→(こちら

日本語の発音が超笑えるー!

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⑥オズモンズ→詳しくは(こちら

 

アメリカのユタ州のモルモン教一家のグループ、オズモンズの最年少メンバーのジミーオズモンズは、ワタクシがかつてメラメラとライバル心というか対抗心を燃やした人なのだ。

ワタクシはなぜジミーが人気者なのかさっぱりわからなかったのだ。

オズモンズというのはこの時代にいくつかあった兄弟グループの一つで、黒人版がマイケルジャクソンとジャーメイジャクソンがいた『ジャクソン5』、白人版がオズモンズ。これを日本でまねっこしたのが『フィンガー5』、というわけですね。

この動画の一番小さな最年少メンバーがジミーオズモンズ。

『オズモンズ YOYO』→動画は(こちら

しかしワタクシはいつもジミーより自分のほうが上だと思っていたのだ。

『おかしいだろー?違うだろー?なんでよー??歌もダンスもルックスも自分のほうが上だろー?なんでこんなやつが人気者なのだ??おかしいだろー?』

『ジミー、俺とタイマンで勝負しろ!』

とか思いながら、

『かんがえよー、かんがえよー。あいつもあいつもかんがえよー』とうたって踊っていたのだが、ド田舎のバカ兄ちゃんには、スターの人気者になるチャンスはついに来なかった。

名家の生まれというだけで人生のスタートラインが違う。現実と不条理に初めてぶち当たってしまったのよん。

『ちっちゃな恋人』→動画は(こちら

 

『カルビスCM』→動画は(こちら)と(こちら

以上、《満》ちゃんのどうでもいい話でした。

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