D-DAY ノルマンディ上陸作戦・ユタビーチにチャリチャリ~と行ってきました!

皆さん、ここでいきなり質問があります。

『初めて、フランス・フランス文化というのを理解したのは何が一番初めての体験でしたか?』

食べ物ならエクレア、マカロン、フランスパン、クロワッサン…??、飲み物ならワイン、ブランデー…??、映画ならアランドロン、ソフィマルソー、ジャンレノ…?、音楽&ダンスならピアフ、クレモンティーヌ、ラベル ドビュッシー、シルビーギエム…?、テレビで見たエッフェル塔…?、スポーツなら1998年のワールドカップ?、ベルサイユのばら??・・・何でもいいのですが、何ですか?

でも外人さんとか、アメリカ人とか、ハローはNGです。

あくまでもフランスという国家、フランス文化、『ボンジュール』のみです。

もちろんひとりひとり違うと思うので聞いてみたら面白いと思ったのね。

ちなみにワタクシの場合はとてもはっきりと覚えておりまして、それは、テレビで放送していたアメリカ製のTV番組『コンバット』でした。

コンバット→(ウィキペディア

→(動画

 

この番組はノルマンディ上陸作戦の上陸後のフランスでのアメリカ軍の戦いを描いたTV番組ですが、その頃のワタクシは小学生、いやーー、はまりましたねーー。メチャかっこよっかった―――。この『コンバット』のおかげでヨーロッパ、アメリカ、フランス、ドイツというのが理解できるようになったのよん。

それまでのTV番組では怪獣物とか仮面ライダー対ショッカーの戦闘員20人みたいな嘘くさいアクションを見ていたのですが、『コンバット』は木枯らし紋次郎的な超リアリズムで、小学生のワタクシにはショッキングでした。本当に死んじゃうし、もちろん最後はアメリカ軍が勝ってドイツ軍が負ける、というお約束があるのですが、ドイツ軍は何でもかっこよかったし強ったのね。ワルサーP38、シュマイサー,MG42、パンサー,BMWの水平エンジンのサイドカーR75とか、超しびれましたねー。

こんなものは日本のワタクシの田舎にはなかった。おかげで小学生のころにはノルマンディ上陸作戦とかヨーロッパ戦線とか結構知ってたのね。

ワタクシのこの時代には戦争の名残みたいなものがまだ少しあったような気がする、上野駅や大阪駅に行くと白装束でラッパ吹いている軍人さんがいたし、東映の映画館では特攻隊の映画をやってたし、”戦争映画”というジャンルがあったし、世の中の中心の人はほとんどが戦争体験者だったし・・・。(現在、こんなことを言っているとちょっとおかしいと思われるけど)

ワタクシの子供のころはお正月にお年玉がもらえると男の子はみんなプラモデル屋さんに行ったのだ。そこには戦争についてのすべてのものがあったのだ。日本海軍、ドイツ陸軍、アメリカ空軍、なんでもないものはなかったなぁ。これで遊ぶのよ。学校の勉強なんて真面目にやったことはなかったけど、プラモデルは超集中して作ったねぇ、メッサ―シュミット、スピットファイヤー・・・、色をぬったりして・・・、男の子ってメカニックなものが好きだからね。まあ、頭の中ではサンダーバード2号とたいして違わなかったけど、これがワタクシのおバカ人間になった原点になったような気がします。

大人になって、ゴルゴ13のアーマライトⅯ16とか、イーストウッドの映画、アメリカンスパイナーとか好きな人ってこんな経験はないでしょうか??

もしかして、バカなのって俺だけ???サンダースごっことかやらなかった???

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

さて、今回、戦争ごっこ好きのワタクシ《満》は、8月13日に、念願だったノルマンディ上陸作戦のビーチに行ってきました。

理由は二つありまして。

その日本では8月15日頃になると戦争の話がいろいろ出てくるけど、ノルマンディーの話はほとんど出てこないし、日本語のガイド本もほぼ無い。日本人はモンサンミッシェルには行くけど同じ世界遺産のユタビーチには行かない。ノルマンディ上陸作戦から74年、完全に風化してしまう前に、忘れ去られてしまう前に自分の目で見てみたかったのだ。

 

そのノルマンディ上陸作戦関連で一番好有名な映画はワタクシが大好きな『史上最大の作戦』ですが、

『史上最大の作戦』→(ウィキペディア

→(動画

この3時間あるめちゃ長い映画は何回見ても理解できない、わからない。この映画は史実通りに作っているのでフランスの地名やポイントや街や村が多く出てくるけどよくわからない・・・。これは自分で現地に行ってみるしか理解できない、と思ったのよん。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

さて、前フリがめちゃ長くなりましたが、8月13日の夜行電車でパリサンラザール駅からチャリチャリ―と出発です。

目的地のCARENTANまで約320km、4時間あるのですが、自転車を乗せて15ユーロ(約2,000円)ですよ。安いよね。

18,8,13dday-118,8,13dday-218,8,13dday-3

 

 

 

 

 

しかも車内はガラガラでお客がいない。

で、04時23分にノルマンディーのCARENTAN着。18,8,13dday-4

あたりは真っ暗。ここからユタビーチまで約16kmあります。

へっへっへっ、ついにやって来たぜぃ。今回は元コンバット少年の聖地巡礼の旅、ということでひとつ。

うりゃーーー、今日もメラメラと燃えてやるぜぃ。

駅前には既にサイクリストのために『ユタビーチはこっち→』という看板があって、その矢印通りに行けばユタビーチまで行けます。

 

『おーーー、超親切だぜい~』と思ったのですが、約1kmほどでCARENTANの街を抜けると何もない・・・、真っ暗。ほんとに真っ暗暗暗。光がない・・・。

今回、キャンプ&トレイル用のヘッドライトを用意してきたのですが、大して明るくならないのね。これってせいぜい3mほど先しか見えない・・・。

都会に住んでいると気づかないけど、夜ってこんなに暗いのね。しかも小雨が降ってきた・・・。地図で、このあたりは湿地帯で街がないのは知っていたけど、本当になーーにもない。家もない。たまに暗闇にピカピカっと光るものがあって『ギャー――』とびっくりすると、これって牛の目なんですね。このあたりはとにかく人間がいなくて牛ばっかり。

そんな雨の暗闇の中をひたすらチャリチャリ。

6時ごろから明るくなってきて・・・、とうとうやってきました、ユタビーチ。

18,8,13dday-518,8,13dday-6

 

 

 

 

 

このあたりの道はすべて上陸した部隊の名前がついています。

———————————————————————————–

2018813 ユタビーチ、06時50分。曇り時々雨。干潮。風速約1Ⅿ、波の高さ30㎝くらい。

18,8,13dday-718,8,13dday-818,8,13dday-9

 

 

 

 

194466 ユタビーチ 06時30分。曇り時々雨。干潮。風速約8m、波の高さ1~2m。

ユタビーチ→(ウィキペディア

→(動画

これは全く偶然だったのですが、ドンピシャで干潮。もう少し明るくてもう少し風を強くして、海岸にこんな障害物を並べると1944年6月6日と同じような朝。

18,8,13dday-19

『おおーーーーー、神様ありがとう!はるばる遠くから来て同じような風景が見れたぜぃ。』

本当の上陸地点はもう少し、北に2~3km北西の地点だったのだけれど、風に流されてこの地点からありの大群のようにアメリカ軍が上陸してきたのだ。18,8,13dday-10

 

 

18,8,13dday-11オマハビーチの土手はとても高くて25~40mくらいあるのですが、ユタビーチの土手はせいぜい2~4mくらいの高さ。

 

 

これが海岸にあった砲台。何でしょうね?155mmより小型の砲台でしょうね。ほぼ水平射撃。

ここはマドレーヌ砲台のあった場所ですが、現在は記念館が建っています。

18,8,13dday-1218,8,13dday-1318,8,13dday-14

 

 

 

 

 

18,8,13dday-1518,8,13dday-16

18,8,13dday-17

 

 

 

 

 

18,8,13dday-1818,8,13dday-1918,8,13dday-20

 

 

 

 

 

ユタビーチは上陸作戦が一番うまくいったビーチですが、74年後の今でもほとんど変わっていません。記念館の前にはカフェレストランが1件のみ。それだけしかありません。

これが記念館の前にあった上陸艇。

トムハンクスは映画の中で『側舷から海に飛び込め――』なんて言っていますが、ちょっとフル装備でこの高さは難しいよね。火事場のばか力ってやつですかね?

さて、今度はカランタンに向かってGO!

さっきまで真っ暗闇で何も見えなかったけど、あたりはひたすら放牧地。牛ばっかり。どうやらこのあたりは毎年水につかってしまう湿地帯らしいのね。なーんにもありません。

これがDDAYの6月6日に戦闘があったラ・バルケット水門。

18,8,13dday-2118,8,13dday-22

 

 

 

 

 

ドイツ軍はこの水門を閉めてあたり一面を水浸しの沼地にしていたらしい・・・。

多くのパラシュート部隊や武器がこの沼地にずぼーっと沈んだらしい・・・。

このラ・バルケット水門は現在でもぽつんと一軒家状態で、周りには何もありません。74年前と変わっていないよね。

カランタンの街に戻ってコーヒーTIME。ここまで約32km。うーーん、おもしろかったぜぃ。

ユタビーチ、お勧めです。なーんにもないけど。

 

さて、次は東に向かってGO!チャリチャリチャリチャリ。

ISIGNY SUR MER

この街は初めて来たのですが、ブランド乳製品、バター、牛乳、クリームでフランス中に知られていて、どこのスーパーでもISIGNY のブランドバターは売られているけど、街の外には巨大な工場があって、ここからフランス全土にバターが送られているんですね。
なんでISIGNY SUR MERがブランドバターの産地かはわからなかったけど、早い話、このあたりはよく水没してしまう湿地帯で、放牧しか使えない広大な土地があるのね。人間より牛の数のほうが多いのよ。

さらに東の向かってチャリチャリチャリチャリ。

 

Cimetière militaire allemand de La Cambe(ドイツ軍墓地)

→(ウィキペディア

→(動画

ここにドイツ軍墓地があることがずいぶん前から知っていたのだが行ったことがなかった。ここは観光地ではないので、コーラ一本買うこともできないし、交通のアクセスが悪いので車でないと来れない。でもどうしても行ってみたかったのよん。

18,8,13dday-23

石板はたいてい二人の名前が彫ってある。あと、生年月日と死亡した日、これだけ。部隊とか階級はかいていない。びっくりしたのが、17歳18歳19歳の少年兵がめちゃめちゃ多いこと。18,8,13dday-2518,8,13dday-26

16歳を探したけど、さすがに16歳はなかった・・・。

 

 

しかし、彼らも本国で軍事訓練をしてからノルマンディに来たはずだから、やはり16歳くらいで兵隊になったんだろう。

日本軍もこんな若い兵隊を使っていたんだろうか?高校1年、2年生くらいの若者?

ドイツ軍の戦死者は対ソ連の東部戦線の方がめちゃくちゃ多いから、ソ連でどのくらいの少年兵が亡くなったのだろう??

この写真は身元不明者のお墓。『ドイツの兵隊さん』と書いてある。18,8,13dday-27

このお墓を見ていると、本当にこの人はドイツ人なんだろうか?と思いましたね。

ドイツ軍は、チェコ人、ポーランド人、ルーマニア人、オーストリア人であろうとドイツの軍服を着ていれば”ドイツ軍の兵隊さん”なのですが・・・。(アドルフ・ヒットラー自身が昔はオーストリア人だった)

例えば、ノルマンディ上陸作戦の数日後にはこんな事件が起こっています。…”オラドウールの虐殺”

ORADOUR SUR GLANE→(詳しくはこちら

この時代、メッツやナンシーがあるロレーヌ地方、ストラスブルグやコルマールがあるアルザス地方はドイツ領になっていたのですが、この地方出身の兵隊はドイツ語とフランス語の2か国語を話せるのでずいぶん重宝されたらしい。当然ノルマンディーにもかなりの数のアルザス&ロレーヌ出身者が戦ったはずだから、捕虜になったらどうなったんでしょうね?うーーん、2年ぐらいの強制労働とか??

よくわからないけど、けっこうな人数がいたんでしょうね。

墓地の外には小さな記念館があって、これが非常にためになった。

 

18,8,13dday-2918,8,13dday-30

 

 

 

 

 

これはけっこう有名な写真、よくいろんな本に使われている。

18,8,13dday-32

場所はよくわからないけど海岸で捕虜になったときの写真。

17歳の少年兵とはこんな人々だったのだろう?学校のグラウンドでサッカーやっているほうが似合っているようなまだあどけない顔立ち。

 

これは埋葬している写真。18,8,13dday-31

監督しているのは連合軍だが、作業しているのはドイツ軍の捕虜。はじめは木の杭が立ててあるだけの墓だったようだが、74年間の時間の中で少しずつ現在のような美しい墓地にしたらしい。

 

結局1時間ほど墓地と記念館にいましたが、うーーん、勉強になりましたね。

ワタクシの感想はですね。

『ドイツと日本、同じ敗戦国なのにずいぶん差がある。』でした。

(てきとうにゴーマンかましていると年長者から怒られてしまうのですが、間違っていたらすみません)

『一番の違いは若い世代に受け継がれているか、忘れられているか』でしょうね。

ちなみにこのような軍人墓地は”ドイツ戦争墓地維持国民同盟”という団体が運営しています。

→(詳しくはこちら

青少年キャンプとかデータベース化とか、なかなか日本ではやらないようなアイデアがあるので、興味のある人はどうぞ。

→(ホームページはこちら

 

次は『D-DAY ノルマンディ上陸作戦・オマハビーチにチャリチャリ~と行ってきました!』編です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>