2015年11月13日 パリ同時多発テロ事件について

11月13日の夜、パリで同時多発テロ事件が起こりました。

現在パリではすべての催物,コンサート、スポーツイベント(サッカー,ラグビー,そしてもちろんマラソン大会も)が中止になっています。(11月16日現在)

Jジョギングクラブでは、いつもはランニング,ランドネ、スキーなどのレポートを発信していますが、今回は特別にパリ同時多発テロについていくつかレポートします。

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実はワタクシ、『バタクラン』に警察隊が突入、テロリストが自爆したころの時刻に現場から300mほど西側を歩いていたんですね。

なぜこんなところにいたのか?といいますと・・・、11月13日(金)の夜はいつものようにレストランで仕事をしていたのですが、21:30分ごろお客さんが『テロが起こった』と教えてくれたのです。

その後、客足はすーーーーっと消えてしまい、23:00頃ラジオのニュース局FRANCE INFOをつけると「スタット・ド・フランスでテロが起こった」だの「10区・11区でテロが起こった」だの言った後で、『現在バタクランで犯人が人質を取って立てこもっているらしい』というので、”ふーーーん、じゃあ、店も早く終わったし、見に行こうかなぁ~”となったわけです。(※バタクランは自宅に帰る途中にあるのです)

まずリパブリック広場を見に行こうとメトロ3番線に乗ったら、セバストポールの駅で”ここからの4駅は警察の命令で下車できません”と言われたので、歩いてリパブリック広場へ行ったのですが、完全に封鎖されていたんですね。

ふらふら歩いていくと、現場から400mほど西のrue bretagneあたりでマシンガンを持った警官が道路を封鎖していたんですよ。

マシンガンのおまわりさんに、

『あのー、バスチーユに行きたいんですけど・・・』

と聞くと、

『ここは入れないから、マレーのほうから回っていけ!』

と言われたんですね。

で、マレーの方向へ歩いて行ったのですが、その時現場はかなり混沌として、完全に封鎖はされておらず、一方通行の道を逆行して歩いていったら、バタクランの西300mほどにあるメトロ8番線のST-SEBASTIEN FROISSARTの駅前に出たのです。(これが14日00:25分ごろ)

すると、目の前にあるリパブリックとバスチーユを結ぶ片側2車線・両側4車線の大通りには警察車両20台ほどと救急車が約70から80台ほどが停まっていたんですね・・・・。しかもどんどん現場に救急車が到着するような状態で・・・。

いやーーーーびっくりしましたね。ワタクシ、勝手に今回の事件が、2015年1月9日の『ユダヤ食料品店立てこもり事件(死者4名)』と同じくらいのテロだと思っていたわけですが、・・・何かとんでもないことが起こってるらしい、・・・・が、現場では何が起こっているのか全く分からない・・・。

ただ、警官も救急隊も殺気立っているというかピリピリしていましたね。

で、しばらく見ていたら、封鎖されているST-SEBASTIENの通りの前で1人の酔っ払いのおじさんと警官が言い争いを始めたのです。

(酔っ払い)・・・「俺はそこの〇〇番地に用があるんだよー!すぐそこだよー!ほら見えるだろー。このボケっ』

とか何とか言って警官と入れろ,入れないの言い争いをした後で

『そんなの知るかーこのタコ。俺は入るからなー』

とBATACLANの方向に行こうとしたんですね。

すると私服の刑事や警官が6人がかりで

『止まれー!動くと撃つぞっ!壁に両手をつけろっ!』

と言って酔っ払いにピストルを向けたんですねー。

ひえ~~~一般市民にそこまでするかーー?

でもなぜそこまで警官が殺気立っているのかわからなかったんです(これが14日の00:40分くらい)

すると、マシンガンを持った警官がワタクシに向かって「おい!そこのお前!さっきから何見てるんだ!ここは立ち入り禁止エリアだ!すぐに出ていけっ!!」

と言ったんです。

仕方がないので、1㎞ほど離れたバスチーユに向かってとぼとぼ歩いていると、バスチーユの手前で10~15台ほどの救急車が「ピ~ポ~ピ~ポ~」とサイレン鳴らしてセーヌ川の方向に走って行ったのです。

バスチーユ広場には軍隊が出動していて物々しい雰囲気でしたね。

 

 

と、ワタクシが目撃したのはここまで・・・で、13日(金)の夜は何が起こったのかさっぱりわからず・・・・、事件の全貌がわかってきたのは15日(日)の夜くらいですね。

 

 

テロリストが200人以上の人質を取って立てこもったBATACLANに警官隊が突入したのが14日00:20分ごろのことですから、ワタクシはその5~10分後に現場の300mほど西をうろうろしていたわけです。が、銃声も爆発音も聞いていませんし、死体もけが人も見ていませんので「事件に遭遇した」わけではありません。

が、他の方向からくる救急車も見ましたし、たぶん現場近くには200台以上の救急車がいたかな・・・??

その後、14日の01:00頃、バタクランの近くにはオランド大統領、ヴァルス首相と大臣たちが到着したそうです。

 

 

それでは以下は他のテロ現場のいくつかのレポートです。

※写真はすべて11月16日夜のものです。

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①第一現場 スタット・ド・フランス  (11月13日【金】 21:20分)

オランド大統領も観戦していたフランス対ドイツの試合中に、スタジアムの外・PORT Dの前のスポーツ用品店「デカスロン」前で自爆テロ。通行人一人が巻き添えで死亡。

(21:30分) 2番目の自爆テロ。 PORT  Hの前「クイックバーガー」の前で自爆テロ。テロリストが死亡。

(21:53分)スタッド・ド・フランスから400m離れた高速道路A86の横にある「マクドナルド」の店内で自爆テロ。テロリストが死亡。

このスタッド・ド・フランスのテロはYOUTUBEでたくさん動画が出ていて見れます。試合中ものすごい音で爆発していますが、観客がパニックにならなかったのは良かったですね。

 

 

②第2現場 レストラン LE CARILLON と LE PETIT CAMBODGE    (11月13日【金】 21:25分)

この現場はパリ10区のサンマルタン運河の東側,マラソン大会も行われるST.LOUIS病院の南側にあり、この2件のレストランは通りを挟んで向かい合っています。交通量は少なく、店の前は小さな広場になっていて、ここに車を停めてテラス席にいた客に向かって銃,自動小銃を乱射。15名死亡。このカンボジアレストランは地元で愛されていたおいしいと評判のレストランだったそうです。

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③第3現場  BAR CASA NOSTRA   と  A  LA  BONNE  BIERE  (11月13日【金】 21:32分)

ここは第2現場LE CARILLONとLE PETIT CAMBODGEから300mほどしか離れていません。車だと1分もかからないのに7分も何をしていたのか??6分間も乱射していたのか・・・??

この2店CASA  NOSTRAとA LA BONNE BIEREにはワタクシ両方とも行ったことがあります。以前パリの日本語新聞『OVNI』の編集部はこのすぐ近くにあったので、『OVNI』に行った時にはこのあたりでガソリンを入れていたわけです。店の前の交差点には少し広いスペースがあって、通りの向こう側にはマクドナルドがあるのですが、マクドナルドは攻撃されいません。CASA NOSTRA とA LA BONNE BIEREの間の距離は10mほどで、その間にあるコインランドリーも乱射されています。つまり、何でも,だれでもよかったわけですね。5人死亡。

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④第4現場 BAR LA BELLE EQUIPEとレストラン MAKI SUSHI   (11月13日【金】 21:36分)

第3現場で5人を殺傷した後で、テロリスト3人は車でアベニューペルモンティエを2㎞ほど南下して11区のCHARONNE通りにあるBAR LA BELLE EQUIPEとレストランMAKI SUSHIの前に着きます。この間の約2㎞を一本道で3分ほどで移動していますから、完全に初めから計画された犯行なんでしょうね。

この2店の前は割と広い交差点になっていて、ここでテラスにいた客に銃を乱射。

19人死亡。

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ワタクシ、小さな日本レストランを細々と経営しているおっさんなので、中華系であろうがなんちゃっての店であろうが、『日本』とか『日本料理』の看板を出しているレストランがバキバキに撃たれたというのはちょっと「ぐーーーー」とくるのよね。

テロリストはカンボジアでも日本でも誰でも何でもよかったのよ。

 

★11月16日の朝日新聞には以下のような記事があります。

『ラ・ベルエキップの向かいのトルコ料理店の経営者(30)は”銃撃は1分続いた”と証言。”銃を持った男2人とそばの車で待つ1人が見えた”。』

この3か所のBAR,レストランの銃撃にはいくつかの共通点があります。

〇すべてのレストラン,BARは角地になっている

〇すぐ隣またはすぐ向かいに同じような、テラスを出している店がある

〇店の前にやや広いスペースがあって車を停められる

〇銃撃は路上から店内に向かってされている

〇1人が車で待っていて、銃撃後はすぐに逃走

同じ手口で3か所を銃撃。その間約10~12分。殺害したのは39人。

 

 

⑤第5現場 BATACLAN   (11月13日【金】 21:40分)

日本の記事を見ると、バタクランのことを劇場とかコンサートホールとか書いていますが、すこーーし違うような・・・。ワタクシ個人的には『劇場』というと”明治座でお芝居見て~三越でお買い物~”みたいな感じで、『コンサートホール』というと”オーチャードホールでマーラーとバルトーク聴いてきました~すばらしかった~”みたいに聞こえるのね。

「バタクラン」というのは、1500人収容の1階席と2階席があるオールスタンディングのライブハウスで、フランスの若手ロックバンドの登竜門みたいな箱なんです。

今回犠牲になった人たちも、ほとんどが「いっぱつキメてからハイになってブッとばそうぜーー」みたいな、10代20代30代の元気な若者たち。

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ワタクシも20年以上前に一度行ったことがあります。

LA BELLE EQUIPEで乱射してからわき目もふらず、1分後にバタクランに来ているところなど、かなり計画性を感じますね。

パリには星の数ほど劇場やコンサートホールがあるのに、わざわざボルテール大通りに一つだけあるバタクランを狙うところに悪意を感じるよね。今回のテロのかなりの人がバタクランで亡くなっています。

14日【土】00:20分ごろ警官隊が突入、犯人一人を射殺、2人が自爆。

観客89人が死亡,100人以上が負傷。

 

 

⑥第6現場 LE COMPTOIR VOLTAIRE   (11月13日【金】21:40分)

この現場が一番よくわからない場所・・・??

事件があったCAFE LE COMPTOIR VOLTAIREは角地にあるCAFEですが、周りに同じようなテラスを出したにぎやかな店があるわけではありません。

ここにはバタクランを銃撃したグループとは別の第3のグループがバタクランと同時刻に襲撃していますが、大きな被害は出ていません。

一人が重傷、犯人が自爆して死亡。DSC_7440

 

かと言って犯人は何もしていないわけではなく、自動小銃を店外から乱射しています。たぶんカラシニコフだと思われますが、カラシニコフの弾痕ってけっこう小さいんですね。障子に小指で穴を開けたくらいの大きさ。DSC_7441

テラスの床が全部はがしてあったので、たぶんここで一人自爆したのだと思うのですが・・・??共犯の2人の犯人は逃走しています。

これは一体何なんでしょうね・・・??

もっと効率よく大量殺人がしたければ、すぐ目の前のNATION広場に行けばテラスがあるCAFEがいくらでもあるのですが・・・??なぜこのボルテール大通りのCAFEを狙ったのか??

このボルテール大通りは、2015年1月のシャルリーエプド事件のデモ行進があった現場ですから、テロリストはあくまでこの通りにこだわっていた,ということでしょうか…?!

もう一つ考えられるのが、この地区がユダヤ人が多く住んでいる地区だから…か⁉

パリのユダヤ人街といえば,4区のマレ地区・9区のCADETあたりが有名ですが、そのほかにもユダヤ人が多く住んでいる地区というのはあります。

パリの右岸東側が多いのですが、19区のビュットショーモン公園の東側や中華アラブユダヤ人が混ざっているベルヴィル地区、20区と12区の東側、そしてこのNATION広場の北西側あたりです。パリ左岸には”ユダヤ人街”といえるようなユダヤ人が集中して住んでいるところはありません。まあ、本当のお金持ちのユダヤ人は高級住宅街に住んでいてこんな地域には住んでいないんですよね・・・。

それともう一つびっくりしたのが、自爆テロがあって、犯人が死亡したというのに、現場となった店内がきれいなんですよね。すごく・・・。DSC_7442DSC_7443

 

 

 

 

ワタクシ的には、”自爆テロ”というのは、ゴレンジャーの必殺技にやられた悪の怪人が『どかーーーん』『バカーーーン』と爆発するイメージがあって、あんなことをレストランやCAFEの中でやられたら店内がめちゃくちゃ・ぐしゃぐしゃになるでしょ?と思うのですが、実際にはガラス一枚割れておらず、・・・「あの~もしかして事件の後営業していました~?」と聞きたいぐらいきれいな状態…??な印象なんです。死者やけが人が出ているので適当なことは言えませんが、ワタクシ個人的に思うのは、今回の事件で有名になった?あの”自爆ベスト”なるものはいったいどのくらいの威力&破壊力があったのだ?ということですね。もちろん屋外のテラスとバタクランのような室内とでは全然違う,ということは理解していますが・・・。

 

 

以上が130名が死亡、352名が負傷した現場のレポートです。

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以下は今回のテロ事件に関係がある現場のレポートです。

 

〇リパブリック広場(共和国広場)

この広場はフランスという国家を象徴する広場でありますから、フランスという国と国民を追悼するときはこの広場にみなさん集まって花やろうそくを捧げます。

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シャンゼリゼ大通りにも人が集まる時がありますが、シャンゼリゼ大通りは”祝勝会専用”の大通りで、サッカーワールドカップ優勝などのお祝い事の時はシャンゼリゼ大通りで行われますが、政治的な問題の時にはリパブリック広場になります。

このリパブリック広場のすぐ東側には左翼新聞の『リベラシオン』の編集部があって、その建物の中に2015年初頭に問題になった『シャルリーエプド』の編集部が引っ越してきました。

この通りは24時間機動隊の監視下にあります。

パリ10区・11区のリパブリック広場の近くでテロが起きる、というのは、フランスという国家に対する警告・挑戦という意味があるのでしょうか?

広場からテロ現場のバタクランまでは約500mの距離です。

 

 

 

〇VOLNAITRE大通りとパリ11区 区役所

パリ11区のPLACE DE LA REPUBLIQUE(共和国広場)とPLACE DDE NATION(ナシオン広場)を結ぶ約3,2㎞の大通りがBOULEVARD VOLTAITE(ボルテール大通り)。

銃撃のあったBATACLANは共和国広場から約550m、LE COMPTOIR VOLNAIREはナシオン広場から200mの位置にあります。

この広くて長い大通りは、長い割にはあまりにぎやかな通りではありませんので(中華系の問屋街、ユダヤ人の多い地区)、よく国家に関するデモ行進があるときには使われるのですが、そのちょうど真ん中あたりのplace LEON BLUMの前にパリ11区の区役所があります。

この広場は2015年1月11日の”シャルリーエプド事件 300万人抗議デモ”で、フランソワ・オランド大統領以下、アンゲル・メルケル独首相、デービッド・キャメロン英首相、アッパス・パレスチナ議長、ネタニヤフ・イスラエル首相、ラホイスペイン首相、マリ大統領、サルコジ前フランス大統領などなど,100人ほどの各国首脳が手をつないでデモ行進した場所です。

 

でもなぜ、この11区の区役所前なのか???

これには歴史的理由がありまして・・・・。

この区役所とボルテール大通りは、プロシア戦争後に起こった1871年のパリコミューン内戦の時に、コミューン側の左派グループがバリケードを作って立てこもった拠点だったのです。しかしベルサイユ軍(政府軍)にじりじりと追い詰められて、最後は区役所の700m東側にあるペールラシェーズ墓地でコミューン側(左派)の兵士は全員銃殺されてしまいます。

こうした歴史的事件があった場所なので、パリ11区の区役所前広場は抵抗運動,レジスタンス運動の象徴のような場所になったようですね。

2015年1月11日のデモ行進で、各国首脳はまずエリゼ宮に集まってから大型バスで11区の区役所前まで来て、数十メートル歩いてすぐに全員エリゼ宮に帰っています。

つまり各国のテロに対する抵抗運動のスタートにふさわしい場所がこの11区の区役所前だったようです。

1982年から1996年までフランス大統領だった社会党の故・フワンソワミッテラン氏は大戦中の対独レジスタンスの闘士だったのですが、大統領在任中も何回か一般のデモ行進に飛び入りして国民と一緒に歩いたりしていたのでけっこう人気がありました。

同じ社会党のフランソワでも、現在のオランド大統領は「デモ行進に飛び入り」みたいなことはやりませんねー。それどころか、以前一緒にエリゼ宮に住んでいたバレリー・トリエルバイレール女史からは『フランソワは実は貧しい人たちが嫌いで、貧乏人のことを”歯無し”と言ってはバカにしていた』と暴露されひんしゅくを買っておりました。

これから11区 区役所と同じように、BATACLANも歴史的に特別な場所になっていくんでしょうね・・・。

 

 

〇パリ12区 ユダヤ食料品店

この店は2015年1月のシャルリーエプド事件で、犯人のMEEDY COULIBALYが立てこもって買い物客4人が射殺された場所です。

現在では店も外装もきれいになっていますが、店の外側にはフェンスが置いてあってこのような写真が貼ってあります。

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犯人がこの店に押し入ったのは何か特別な恨みがあったわけではなく、以前このあたりに住んでいたこの店を知っていたから、らしいのですが、迷惑な話ですよね。

 

 

〇パリ近郊サンドニ地区 潜伏拠点銃撃戦

3人死亡、8人逮捕。

2015年11月18日の午前04:20分に、サンドニ市にあったテロリストのアジトに警官隊が踏み込んで銃撃戦になりました。

場所はメトロ13番線のST,DENIS BASILIQUEから西に300mほど行ったRUE DU CORBILION,有名なサンドニ教会と市役所は駅前にあります。この辺りは移民が多く(アラブ,黒人、中華系など)かなり問題の多い地域で、「日本人ツアー客が10人ほどの黒人に襲われバックやI フォンやIパッドを奪われた」事件があったり、馬乗りになれらてぼこぼこにされてIフォンを奪われたという人もいます。

今回のテロの首謀者 アルデルアミド・アバウト容疑者はここで死亡したようです。

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というわけで、今回のレポートはこれで終わりです。

現在パリはテロという嵐の中にいて、これから先どうなっていくのか誰にもわかりません。

パリ東部のモントルイユの車の中からはカラシニコフ銃などが多数見つかりました。

マニュエル・バルス首相は生物化学兵器を使ったテロの可能性がある、とコメントしました。

ーブリュッセルではすべての交通機関が止まりました。

リヨン市の光の祭典は中止、アルザス地方のマルシェ・ド・ノエルも中止か大幅に縮小されそうです。

パリ地方のマラソン大会はほどんどが中止・・・このままいけば来年2016年3月のパリハーフマラソン大会、4月のパリマラソン大会もどうなるかわかりません。

Jジョギングクラブのホームページでもしばらくマラソン大会情報は出せそうにありませんので、テロ、スポーツ関係のレポートも発信していきたいと思います。

Jジョギングクラブのメンバーがみんなでパリの街を疾走する日はいつ来るのでしょうか・・・??

 

この記事へのご意見、ご感想などをいただけましたらとてもうれしいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

《満》

 

 

 

 

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